モスクワ/輝く都市/ル・コルビュジエ
松田 達
「輝く都市」(Ville Radieuse)はモスクワで生まれた。いや正確には、モスクワをきっかけにして生まれたといえよう。よく知られている、ル・コルビュジエによる一つの理想都市モデルである。敷地も設定されておらず、システムの提案のようなものである。日本語の同名の本『輝く都市』(坂倉準三訳、鹿島出版会、1956年)があるけれども、これは1935年の『La Ville Radieuse』(輝く都市)の翻訳ではなく、1946年の『Manière de penser l'urbanisme』(ユルバニスムの考え方)の翻訳である。だから、内容はまったく別のものである。言い換えれば、オリジナルの『輝く都市』の邦訳はまだ出ていない。「輝く都市」は、いつ生まれたのか。1930年、ちょうど2年前の1928年にコンペで勝利していたセントロソユースの現場が始まった頃、ル・コルビュジエはモスクワ当局からの質問状を受ける。モスクワの拡大についてである。文章での回答でよかったところ、ル・コルビュジエは図面もつけて返答する(「モスクワへの応答」)。66ページのレポートと、21枚の図面である。そのうち17枚の図面が、同年ブリュッセルで開かれた第3回CIAM(近代建築国際会議)で、「輝く都市」として発表された。これが公式の「輝く都市」の誕生である。いわば新しいモスクワが、「輝く都市」だったのだ。
ただ、この17枚の図面(FLC24894からFLC24914)のうち、実際モスクワに関係しているのは、「モスクワへの適用」と書かれた一枚の配置図(FLC24910)だけだといってよいだろう。あとは、交通計画であったり、ルダン型(屈曲型)と名付けられたクネクネと延伸する住棟配置のスタディであったり、ほぼマルセイユのユニテの断面図といえるものであったり、どこにでも適用できるモデルとして描かれた図面だといえる。ル・コルビュジエ自身、これらの図面はモスクワと関係のないものであったと語っている。
いわゆる「輝く都市」として知られているのは、ゾーニングと書かれた図面のことであり(FLC24909)、ダイアグラムを示した別の図面(FLC20363)とあわせると、図面上部から下部に向かって、行政、居住、手工業、工業とゾーン分けされていることが分かる。それぞれは左右や斜め方向に延伸可能となっている。
「輝く都市」は、基本的には1922年の「300万人の現代都市」や、そのパリへの適用である「ヴォワザン計画」の焼き直しだといえる。使われている建築言語も似ている。けれども、それとの大きな違いとして、中心性の喪失があげられるだろう。「300万人の現代都市」では、中央に、空港を含む立体的な中央駅が位置しており、明確な中心となっている。一方「輝く都市」では、駅は中心からはずれ、業務地区と居住地区のあいだに置かれる。ただシンメトリーは守られている。この延長上のユルバニスムとして、「チャンディーガルの都市計画」を挙げておかなければいけない。カピトルと呼ばれる行政区は、周縁からもはずれ、都市の外部に位置しているといえるかもしれない。ル・コルビュジエにおいて、中心は次第に失われていった。
ル・コルビュジエは「輝く都市」の説明に、アラベスクという言葉を用いている。アラブ風の幾何学模様。ルダン型の住棟配置も、アラベスクの一種と読める。無限反復し、あらゆる点がそれぞれの中心でありえる連続体。「輝く都市」は、各ゾーンが延伸可能なアラベスクの集合体である。だから、一つのシステムであるけれども、全体を統轄するマスタープランではない。1960年代には、シチュアシオニストらによって、ル・コルビュジエ的なマスタープラン型都市計画が批判されていく。けれども、この時すでにル・コルビュジエは、マスタープランではない都市モデルを考えていた。機能するシステムとしての都市である。
ちょうど新しい出発を考えていたモスクワは、ル・コルビュジエにとっては、都市計画を実現するためのチャンスの一つに過ぎなかったかもしれない。放射状、環状に広がるモスクワは、19世紀的な古い都市に見えただろう。「輝く都市」は、ほとんどがモスクワと関係なく提案された。むしろ反モスクワとも呼べる提案である。しかし、ル・コルビュジエはその重要な部分にモスクワで得た経験を用いている。メゾネット住戸が組み合わされ、三層ごとに内部通路(rue intérieure)をもつ住棟断面は、モイセイ・ギンズブルクらによるナルコムフィン・アパートメントから着想を得たものである(5層の建物に、2つの廊下をもつ)。ル・コルビュジエは1929年にこの建物を訪れている。後に、この住棟部分がマルセイユのユニテとして実現する。
ル・コルビュジエにとって、ソヴィエトは取り込むべき他者であった。1928年の10月、ちょうどモスクワのセントロソユースのプランに修正を重ねていた頃、ル・コルビュジエは一枚の世界地図のわきに、水瓶のスケッチを描いている。中央で二つに仕切られ、異なる液体が入っており、一方がヨーロッパ、一方がロシアだと示されている。隣に、その敷居を越え、二つの液体が混じり合ってしまい、境界が消えた水瓶が描かれている。いわば資本主義と社会主義の合一である。30年代にたびたびモスクワを訪れたル・コルビュジエは、自らの建築とユルバニスムに、当時唯一の社会主義国家として注目を集めていたソヴィエトの可能性を織り込もうとしたに違いない。
「輝く都市」といわれるものは何を指していたのか。これまで、邦訳のタイトル問題もあり、日本ではあまり正確には伝わってなかったかもしれない。実際、坂倉訳の『輝く都市』の中には、「輝く都市」の図版は、まったくといっていいほど収録されていない。今回、16巻組のDVD『ル・コルビュジエ プランズ』(コーデックス・イメージズ)を参照することで、その全貌を正しく知ることができた(「輝く都市」は第4巻に収録されている)。発表された17枚の図版はその一部であり、そこに至る200枚を超える習作図面も収録されている。
一つの作品でも、これだけ知らないことが多いのだから、全作品が収録されたこのDVDアーカイヴスに眠る情報量の膨大さは計り知れない。すべての作品に詳細な解説がつけられているということにも驚かされる。最初は、膨大な資料のどれをどう見ればよいのかが分からなかったが、慣れてくると、解説とFLC No.検索の併用が役に立つことが分かってきた。『ル・コルビュジエ プランズ』のなかには、まだまだ知られざるル・コルビュジエが眠っているのではないだろうか。目的もなく、ちらちらと見ているだけでも、きっとそれぞれの新しい発見があるだろう。
(2008年7月22日)
まつだ たつ
1975年、石川県生まれ。建築家。一級建築士事務所松田達建築設計事務所代表。
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修了。隈研吾建築都市設計事務所、吉村靖孝建築設計事務所を経て独立。文化庁派遣芸術家在外研修員としてパリにて研修。パリ第12大学パリ・ユルバニスム研究所にてDEA取得。主な作品に《第一回リスボン建築トリエンナーレ帰国展会場構成》ほか。
オフィス・サイト(松田達建築設計事務所)
http://www.tatsumatsuda.com/
ブログ・サイト(Jacques Ta2)
http://www.cybermetric.org/jacques_ta2/
